霞ヶ森

霞ヶ森                  

 
 あんた、いつも何処に行っているの?あたしに何も言わないで、何をしようとしているの?
 ボロボロで張りぼて隙間風の入る、あの頃の家になんとなく足が向いた。
 今は誰も住んでいない。いや、住めるような状態ではない程崩れている。しかしまだ、雨宿り位はできると思って、小雨がちらつき始めた空から身を隠した。
 あの頃はいつもお腹をすかせていた。ギンと出会ってからもやっぱり貧しかったけど、隣に誰かがいるという安心感だけで、それまでより何倍も良かった。
 でも、ギンはいつも何も言わずに何処かに行っては、ふらっと帰ってくる。
 あたしがどれだけ、それを不安に思ったことか。一人になるのはもうイヤだったし、あの頃はまだ心も弱かった。ギンがどこにも行かないように、出来る限りの事はした。それでも、あいつはあたしを置いて、姿を消した。
 ぎし、と入り戸が鳴いて現れた相手に互いに驚いた。
「ギン…!」
「こないなトコで奇遇やなぁ、乱菊」
 霊圧を隠していたのはお互い様。けれど、馴染んだ霊圧に体が反応しなかっただけかもしれない。
「あんたも雨宿り?」
「うん。急に強う降ってきたからな」
 さっきより強まった雨足は、重く黒い雲から止めど無く降ってきては弱まる事を知らない。
 
 窓辺にいるあたしから、少し離れてあいつも座った。
 ぴちゃん、ぴちゃんと雨漏りがしてる。
 初夏の風はまだ冷たくて、体温をどんどん奪っていく。寒がりな方ではないけれど、小雨に濡れていた分、熱を取られる。
 失敗した、雨宿りなんてするんじゃなかった。
「なんや、寒いんか。そないに大きく胸肌蹴てるからやで」
「わざと肌蹴てるわけじゃないわよ。収まらないの!」
「どうでもええわ。ほれ」
 投げ渡されたのは隊長羽織。空気に乗って、ふわっとギンの匂いが鼻を擽った。
 頭の中を凄い勢いで駆け巡る、あの頃の記憶に胸が苦しくなる。
「い、いらないわよ。あんたのなんだから、あんたが着てなさいよ」
「強情な女は可愛くないで。ええから着とき」
 渋々借りるけれど、これが一枚あるだけで確かに暖かさが違った。直前までギンが着ていたから、その体温も残っている。
 感情の読めない笑みを顔に貼り付けたまま、何の実のある話もしない。
 ただ、流れる時間に二人でいるだけ。雨の音しかしない。
 切り取られたような空間。
 目線も合わせることなく、言葉も無い。居心地なんて最悪だけど、このままでいいなんて、頭までいかれて来たかもしれない。
 
「やっぱり初夏つぅても、寒いなぁ。ボクも寒なってきたわ」
「ほら言ったじゃない。あんたが着てなさいよ、コレ」
 隊長羽織を投げ返してやると、それを着こむ。
 おもむろに近づいてきたと思ったら、背中をくっつけてあいつは座った。
 これで、寒ないか?と聞いてきたから寒くないわよ、と強がる。さっきよりは暖かくなったけれど、実際はまだ肌寒い。でも我慢出来る。背中に感じる熱がじんわりと暖かいし。
「ほんまに強情な女やね、乱菊は」
 そう言われて、抱き締められた。
 急な出来事のはずだけど、あたしはなんとなくこうなるんじゃないかと思っていた。だから、抵抗もしない。する理由がない。
 あんたはあたしを絶対傷つけないくせに、こうしてあたしを苦しめるのね。
 雨はさらに強く降ってきた。音が全て掻き消される。
「このままどこかに消えてしまおか、二人で。遠くへ逃げてしまおか」
 出来ないくせに。そんな嘘をついて、あんたはきっとまたあたしを置いて行く。
 今、それが本音でも、明日にはそれを隠してしまう。
 だからあんたは…。
 
 雨が小降りになってきた。
「ほな、またな。風邪引きなや」
 そう言って、傾いた戸口からギンは出ていった。一人になると一層空気の冷たさを感じる。熱は引いていった。
 小雨の中に、きっとあんたはあたしの移り香を落として行く。そして隊舎に帰ったら、なんでもない風を装って、また元に戻る。
 あたしも同じ。
 もう少ししたら、この雨の中、あんたの移り香を落として、また元の場所へ。

 <終>