湯浴みを終えた彼女は、部屋の隅で壁に体を預け、足を投げ出していた。
近付くと、ヒュン、と空気が鳴った。
彼女が鬼道を纏わせた腕で攻撃してきたのだ。間一髪でそれをかわし、腕を強く掴むとそこでようやくボクの存在に気付いた。
「ああ、喜助か。黙って入って来るでない。闖入者かと思うたわ」
「・・・ボクの霊圧も忘れてしまったの?」
俯いた彼女の腕をそっと離すと、立ち上る香に気付いた。
彼女は香りを付けるのをあまり好まない。隠密で動く者には香りといえど正体を知られる危険があるから。
「血の匂いが消えないんスね」
「匂うか?」
「いいえ、全く。アナタの頭からこそ、消えないんでしょ?」
命を絶つ感触が、断末魔が、亡霊が。血の匂いと共に。
「・・・父の部下だった男を殺してきた。その前は、儂と同期のヤツでの。なかなか腕のたつヤツだった」
厳つい肩書きには相応しくない、細い肩を抱き寄せる。
「隠密であることは儂の定めなのにの・・・。分かっていたはずだったんじゃがの・・・」
「苦しい?」
「あぁ・・・、息苦しくて敵わぬ。見ないように目を瞑っても、瞼の裏まで屠った亡霊が襲ってくるようじゃ」
何百と、命を絶ってきたのに。その役目が己の存在理由なのに。でも、苦しい。
彼女は優しすぎる。だから苦しむ。ボクのように心も殺してしまえたら、一時でも楽になれるのに、彼女は全てを背負おうとする。
「・・・ボク達は目を逸らす事すら許されない。狂ってしまえたら楽でしょうけど、それも出来ない。でもね、一つ忘れられる方法があります」
「・・・?」
ボクの光はアナタだ。アナタを思えば血塗られた闇ですら、暖かい。
ボクは彼女の柔らかな姿態を豪奢な布団の中に押し込めた。虚ろな瞳のままの彼女を見下ろす。
彼女の腕はそっとボクの肩を抱き、嫌がりもしない。そのまま唇を重ねると、弾む吐息だけが、部屋に響いた。
血の匂いなど消してやる。覆うような香の匂いなど必要ない。
「アナタはボクの匂いがすればいい」
裸の体を合わせて揺れれば、ようやく彼女が笑った。
「血よりはましかの・・・」
「そっちのが、色っぽいでしょ?」
彼女の内を何度も突いて、汗で滑る体を合わせて、手も足も絡めて、何度も。何度も。
互いを見つめて。互いの熱だけを欲して。限られた逢瀬を互いの事だけ強く思って。
これは彼女がヒトであるための、そしてボクと彼女が互いを知るための儀式。
もしもこの先、ボクが正気を無くしても、きっと彼女はボクを抱いてくれる。
そして、ボクも彼女を抱くだろう。
連綿と続く闇。
その中で骸と亡霊に追われても、ボクらは手を取り合って逃げるんだ。
体に刻みあった光と共に。
<終>