淡雪の願い

 冬の白銀が、茜差す夕暮れに染められて、何もかもが赤かった。

 緋真の主治医が言った言葉を私は取り零した。
「…もう一度、言ってくれ」
「……奥方様は余命幾ばくもございません…。おそらく、もってあと一~二ヶ月でしょう」
 緋真が、死ぬ?
嘘だ。信じるものか。
 お気を確かに、と主治医の声が澱んで聞える。眼前が揺れている。
冷静を装うだけで精一杯だ。
 それから、医者が何を言ったのか定かではない。これから使う予定の薬や、治療方針だったような類だったようだが。
 何時の間にか、空が赤から紫に色調が変わっている。医者を見送ってから、見上げた蒼白い月は、私を慰めようとすらしない。
 薄い雲に隠れた無情なそれは、心にも黒い影を落とす。
 四大貴族・朽木家の当主としての重圧の中にある、ささやかな幸せ。
 小さな緋真。心は限りなく広く、優しい海のようで私を労わってくれる。
 お前は死ぬのか?私を一人残して、逝ってしまうのか?
 誰がお前の代わりになれるというのだ?
 そんな戯言、信じられない。・・・信じたくなど、ない。
 
「白哉様、こんな寒い所においででしたか。お風邪を召しますよ」
 緋真―――――――。
 この穏やかな微笑が、この暖かい掌が、私を呼ぶその声が、無くなってしまう。
 突然込み上げた感情に、華奢な体を強く抱き締めて、驚かせてしまった。
 けれど、失いたくない。
 失いたくないのだ。
「…お聞きになりましたか。私の命の期限」
 喉の奥が詰まって、ああ、としか返せない。腕の力をも調節できない。きっと苦しいだろうに。それでも、何時の間にか冷えていた体に温かい熱が染み込む。
「朽木の嫁として、何も出来ずに申し訳ありません」
「そんなことはどうでも良い」
 心臓が急速に苦しくなって、目頭に熱が集まる。
「…白哉様、どうかお聞き下さい。私が…私が死んでも、どうか悲しまないで下さい。私は、いつでも貴方様を見守っています。隣に居れなくとも、この空気となって貴方様を包みましょう」
 悲しむな、などと無理な事を言う。お前を失う私に、慟哭すら許さぬと言うのか。
 どんな形でも良い。生きて側に居てくれないのか。
「…なんて、嘘です」
「?」
 今まで凛としていた高めの声が、震え出す。
「私だって、怖いです。生きたいです…、お側に居たいです!でも、それが叶わないことは私が十分承知しています。だから、私が死んだら、悲しんで。泣き崩れるくらい悲しんで下さい」
「緋真…!」
 今ですら胸が張り裂けそうな悲しみに犯されている。
 お前が死ぬなど、想像したくもない。
 やっと、手に入れた幸せなのだ。
 周囲の反対も、掟も破ってようやく手に入れた愛しい人なのだ。
 ああ、どうか嘘だと、命が消えるなど嘘だと、言ってくれないか?
「大丈夫だ、決して安々と死なせはしない。必ず、何か良い方法があるはずだ」
 緋真は緩く横に首を振った。
「いいのです、こればかりは仕方の無い事。ですが、もし、我侭が許されるのならば、どうかお願いです」
 大きな黒い瞳が私を見上げる。
 儚い微笑みを浮かべ、今すぐ消えて無くなりそうな気さえする。
「もし、この世界で再び相見える事が出来たのならば、もう一度私と雪道を散歩して下さいませ。初めて手を繋いだあの時の様に…」
 思い出すのは、もう何年も前の冬。途端に、色鮮やかに蘇る記憶に、あの時の幸せを思い出す。初めて繋いだ指先の温もりも、全て。
 それを、また未来で感じたい。
 …いつもそうやって、私に希望を見せてくれる。
 尽きる命を無闇に引き延ばす事を、お前は望まぬ。朽木の尊厳を保ったまま、逝くと言うのだ。
 なんと気高き女。
 そうして、絶望の淵にいる私に、未来での再会という希望を夢見させる。
「緋真には、自信があります。生まれ変わっても必ず白哉様を見つける自信が」
「ほう?」
「だって、愛してますから」
 得意顔で微笑んで、でもその瞳からは一筋の涙が雪の結晶のように美しく零れて落ちる。
「・・・お前を必ず見つける。それまでの、しばしの別れというだけか」
 頷いて再び私達は抱き合った。
 お前は、私を悲しませない為にこんな事を言ったのかもしれないが、私は違う。
 幾年過ぎようとも、何処にいようとも。
 緋真、お前を必ず見付け出す。
 <終>
 
輪廻転生して、また会えるといいな。