夜一は隠密機動総司令官と二番隊隊長を兼任しており、さらに隠密の第一分隊・刑軍の軍団長でもある。最近は押し寄せる書類の波と、各部隊への指示とめまぐるしく時が流れて自分自身の睡眠もままならなかった。
「えぇい!こんなハンコを押すだけの仕事など他のヤツにやらせい!」
「そ、そういうワケにはいきませんよ、隊長!隊長一読の元、隊印が必要なんですから」
「第一、こんな量の書類で内容を覚えてられるわけなかろう!もう嫌じゃー!こんな書類燃やしてくれる!破道の三十い・・・」
顔を蒼白に染めた部下が止めるのも聞かず、鬼道を使おうと腕を前に出したところで、隊首室の扉がカラリと開いた。
「夜一サーン、久利屋の栗饅頭もらったんですけど、一緒に食べませんかぁ?」
夜一が喜助の存在を認めると、構えた腕をあっさり降ろし、満面の笑みを浮かべて是と応えた。
「そういうわけで、儂ちょっと休憩してくるでの。おぬしも少し休むがよい」
まだ顔に冷や汗を浮かべている部下にひらひらと手を振って、突然現れた第三分隊部隊長・浦原喜助と共に隊首室を後にした。
「た、助かった…。オレも…、書類も…」
人気の少ない裏庭の竹林のなか、大きな岩に腰掛け、深呼吸をする。
「はーぁ、気持ちが良い。そういえば昼すぎとはいえ昼飯はおろか、朝飯も食うておらぬ。道理でイライラするはずじゃ!」
「あはは、忙しそうですもんねぇ。じゃあ腹の足しにどうぞ。ボク甘い物苦手なんで全部食べて良いっスよ」
「うむ、馳走になる」
久利屋の和菓子は定評があり、とても美味い。腹が空いていたので尚更だった。無言のままもぐもぐと口を動かす夜一がどこか小動物的に見えてつい頭を撫でてしまう。
喜助は微笑みながらそれを見遣り、晴れた竹林を見渡すとその青い空気を吸い込んだ。
葉に陽光が反射して、キラキラとプリズムを作る。
そういえば、近くの小川のせせらぎも聞こえてくる。
夜一の仕事が忙しいからと、会うのを遠慮していたわけではないが、喜助も自分の研究が思うようにいかずなかなか会えなかった。こうして二人で並んで座るのが随分久しく感じる。
幼少の頃はもっと気軽に会えたのになぁ、と思うと成長し互いに与えられた運命の差に少し胸が痛くなる。自分が逆の立場であれば、もっと相手をないがしろにしていただろう。けれど、夜一は何がなくとも自分を気にしてくれた。これが、彼女の器量なのだ。
「あぁ、美味かった!礼を言うぞ」
「どういたしまして。喜んでもらえてよかったっス」
互いに微笑み合うと、夜一の小さな頭がちょこんと喜助の肩に乗せられた。腕もそっと絡められて、猫のように擦り寄ってきた。
「しばらく会えなくて、寂しかったぞ」
「…それ、ボクの科白ですよ」
「またすぐに戻らねばならぬ。だが、もう一寸このままで…」
瞳を閉じて今この瞬間を味わうように触れあう。絡めた腕の先、そっと掌も合わせて。
言葉もなく、小鳥のさえずりと、さらさらと風に吹かれる葉の擦れる優しい音に耳を傾けながら。
心はここにあると言うように、二人の逢瀬はそっと時を刻んだ。
「では、もう行かねば…。書類の山と戦う気力が出たしの」
「そうっスね。ボクも持ち場に戻らないと…」
時間にして半刻過ぎたがどうかの時、短い逢瀬は終わりを告げる。
「次は大福が良い。もらったなどと、おぬしの嘘はお見通しじゃ。でも儂はまたそんな嘘を待っておるぞ」
にこりと笑った顔に離れがたさを感じる。夜一もそうなのだろう。先ほどから喜助の袖を離そうとしない。
「そうじゃ…、お代がまだであったな」
「え、いいですよ。ボクだってそれくらいの甲斐性はあります」
「まあ、受け取れ」
微笑んだ唇のまま、喜助のそれにそっと重ねた。
ただ重ねるだけの淡い口接け。時にして数十秒。
「ではの。これ以上居ては離れがたい」
そういって夜一はもと来た道を戻っていった。
喜助は夜一の唇の名残を探すように、自分の唇を舐めるとほんのり甘い味がした。
「さぁて、ボクもやる気出てきた!」
喜助も大きく背伸びをして、自隊へと戻っていった。
青々とした竹林がさやさやと揺れながら、そっとそれを見ていた。
<終>
チューは栗饅頭の味・・・。いや、好きですよ。栗饅頭。隊長時代のデートのイメージ。仕事を持つ大人ってなかなか会えないからちょっとした時間を大切に、という感じです。
I・T様、リクエスト有難うございました!