現世に逃げ延びて、不慣れなことばかりに気が散り、めまぐるしく季節が回る。
霜枯れの山にふと日暮れの早さを感じ、寒月に入ったことを知る。
人気の無い山奥に建てた住まいは、夕飯を炊くための煙を放ち、自分の帰る道を示す。
喜助は平子達の虚化を解くために地下研究室にこもりっぱなしで、滅多に外に出てくることは無い。
テッサイは喜助の手伝いをしつつ、家事全般をこなしていた。
儂は、というとソウルソサエティと現世を行ったり来たりして物資を調達し、現世にまれに姿を見せる虚を戯れに相手にしてみたり、といったものだった。
恵まれた生活をしていた頃には知りもしなかった事を目の当たりにして、今までの自分の無知に恥じ入ることも多かったが、それでも苦労と思うことは不思議となかった。
「テッサイ、今帰ったぞ。喜助はまだ籠もっておるのか?」
「お帰りなさいませ。浦原殿はまだ下におられます。夕飯の支度が整いましたゆえ、召し上がって下さい。私は先に下に運んできます」
「喜助はちゃんと食べておるのか?」
「寝食忘れるのはいつものことですが、こうしておにぎりにしておけばいくらか召し上がるようです」
「あやつめ…世話をかけおって」
嘆息するが、テッサイは気にも留めていないように“これが今の私の役目にて”と膳を持って地下へと姿を消した。
後で様子を見に行こうと思うが、喜助の研究の妨げになりはしないかと、内心二の足を踏む。こうして自由になったのに、いつでも一緒にいられるはずなのに、もう随分姿を見ていない。
用意してもらった膳を平らげて、すっかり暮れた外を見る。
月冴えの夜空に徐々に重く雲が翳り始めた。
「氷雨が降るかの…」
地下の研究室に降りて喜助に声をかけようとしたが、丁度何かの実験が始まるようで、テッサイが二重・三重に結界は張っているところだった。
青白い雷のような鋭い光が結界内を飛び散る。
しばらくその場で様子を見ていたが、儂にできることは何も無いため、そっと上にあがった。
炊きたてだった夕飯も、もう冷たくなっていた。
囲炉裏の炎だけは絶やすまいと、小枝でも拾いに行くかと外へ出た。
辺りはすっかり暗く、時折吹き抜ける寒風に身を竦ませる。
白息が昇っては消え、また昇る。
腕に一抱えの木の枝を拾って、それでもなぜか帰りたくなくて、その場に座り込む。
さっきまで吹いていた風が凪いだ。
「そんなところに座ったら、おしりが冷えちゃいますよ。女の子は体を冷やしちゃ駄目っス」
思いもよらない声に振り返ると、そこには無精ひげが生えた喜助が立っていた。
「気配を絶つとは、いやらしいヤツじゃの」
「夜一サンがボクの気配に馴染んでるから、気付かなかったんじゃないの?」
「ふふ、よく言うわ。で、実験は良いのか?」
横に来た喜助の顔を見上げると、彼もまた悲しそうで困ったような顔のまま黒い雲を見上げた。
「失敗っス。全部が全部失敗じゃないけど、まだ時間かかりそうっス」
「そうか…」
簡単にいかない事は重々承知している。でも、やはり少ししんみりとしてしまうのは頭上に重く圧し掛かった厚い雲のせいだろうか。
「うー、寒い!外はもうこんなに寒かったんですねー。ささ、戻りましょ」
腕を引かれて立ち上がると、視界いっぱいに喜助が映る。馴染んだはずの笑顔。
「…やっぱり、冷えてしまった」
「ほら、言ったで、しょ…」
急に抱きついたせいで、途切れた言葉。寂しかったわけじゃない。実験の失敗を励ましたいわけじゃない。ただ、その存在を確かめたかった。
何も言わず抱き締め返してきた腕の中は、温かく心を溶かす。
閉じていた瞳を開くと、視界の端にひらひらと舞い散るものが見えた。
「…ゆき…」
黒い世界にしんしんと降りてくる白雪。
現世に来て初めて見る、雪。
ゆっくりとゆっくりと六花が舞う。
そっと手を伸ばしてそれに触れると、あっという間に溶けて消える。それでも、次から次へと掌へと降りてくる。
仄白く、淡く光る雪は、真っ黒な世界で幻想的に見えた。
「綺麗じゃの…」
「ええ、本当に…」
寒さも忘れて、空を見上げる。
ふと肩に温かさを感じると、喜助は着ていた羽織を儂にかけてくれた。
喜助が寒くないように、今度は儂が喜助の胸に抱きつくと、喜助が笑った。
現世で二人きりで見る初雪も、悪くない―――――。
<終>
雪いいですよねー。初雪って意味も無くわくわくします!
1000Hit御礼申し上げます! I・T様、リクエスト有難うございました!