昭和中期の現世。
雪がちらつく、寒い夜。ある駄菓子屋に一匹の黒猫がするりと音も立てず、入り込んだ。
「アラー夜一サン!お帰りなさーい。寒かったでしょ?ささ、こちらへ」
店主・浦原喜助は、黒猫の背中に積もった雪を掃いながら、暖かい室内へと導いた。
黒猫がもそもそとこたつの中に入り込み、顔だけ出すと存外低い声で喋った。
「テッサイはどうした?」
「使いに出てましてね。数日は戻りませんよ」
裏家業の使いだ。室内なのに深く被った帽子の奥から、チラと瞳が見えた。
「なんじゃ、テッサイの飯を食いに来たのに」
黒猫は酷く残念そうに言うと、せめてミルクを、と所望した。
明るく返事をした店主はいそいそとミルクを器に注ぐと嬉々として出してくれた。
「ハイどうぞ!今日買ってきたばかりですから新鮮ですよ!ついでにアタシのミルクも飲みませんか?ご無沙汰っスから濃いのが味わえますよん♪」
「胸悪くなるようなことを言うな。折角のミルクが不味くなるわ!」
喜助はミルクを舐める黒猫の首筋を掻くように撫でた。
猫はミルクを舐め続ける。
ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ。
黒い毛の口元を白くして。
紅い小さな舌で。
「美味しいっスか?」
黒猫は閉じていた片目を薄く開いて彼を見ると、また無言でミルクを舐めた。
居間にはテレビの歌謡ショーが流れたままで、店主と猫の姿だけが消えていた。
曇りガラスの向こう、小さな浴槽にはかの店主。
その腕には黒猫のような長髪の妖艶な美女。
暖かいお湯を波立たせて、熱い吐息を弾ませて上下に揺れる。
湯に濡れているのか、汗なのか、湿った肌に擦り寄るように体を合わせる。
「のぼせそうじゃ…っ」
「アタシに?」
「莫迦者…っ!」
憎まれ口を叩いた唇を塞ぐ。
息が苦しくなって、でも体は熱くて。
褐色の背が弓なりに反ると、二・三度痙攣したかのようにビクリと震えた。それに呼応するかのように喜助の体にも緊張が走った。
薄い唇からくぐもった呻き声が逃げると、二人の動きはやがて止まった。
テレビも居間の電気も消えて、店主の部屋では豆電球がひっそりと灯っていた。
橙色と影の世界。
同じ布団に包まったまま、猫のようにじゃれあう。
「次はすぐ戻ってこられそう?」
「さて…な。あちらでは始終猫の姿だからの。なかなか遣り辛く手間取る。時間はかかるだろうの」
喜助は寝返りを打って、柔らかい女体の上に覆いかぶさる。
「じゃー、もう一回!これからまた禁欲生活っスからねェ」
頬をなぞり始めた唇と、かすかな無精ひげの感触。
顔を押しやるように引き離す。いささか眠いのだ。
「そんなに辛いなら、他の女子を抱けばよかろ」
「えぇー…アタシ、アナタの具合が好きなんス。もぉ絡み付いてくねって吸い付いて、もう絶妙!…っていうか夜一サン、したくなったら誰かとしてるんスか?」
うらめしい顔で聞いてくるのを溜息で返す。
「儂、そんな面倒なこと好かん。大体、今もおぬしで手一杯じゃ」
「ですよねぇ~、あぁ良かった!」
では、もう一回…と唇を吸い始める。
「儂もう眠いのじゃが…」
「寝てていいっスよ。夢の中までアタシに抱かれてください」
「それは嫌じゃ」
「えぇ、なんで?!」
「醒めたら消えるものは嫌じゃ。寝て起きてもちゃんとおぬしに隣に居て欲しい」
うとうとしながら零した甘い言葉。喜助はもーと唸りながら、頬を染めた。
「なんて口説き文句言うんスか。眠らせませんよ!」
豆電球の下、影が動く。
<終>
今年ようやく姫初められた!良かった!
ちょっと昔の年代と男前夜一サンを意識しつつ。ほのぼのです。