・虚無感・

※一部暴力的な表現があります。そんなの嫌!という方はブラウザバックして下さい。

 
 
 
体中が気怠く、それでいて意識だけはギラギラと荒ぶっていた。
ぶつけようのない怒りが全身を巡り、諦念とやるせなさが思考を行ったり来たり。
疲れているのだ、そう、とても疲れているのだ。
だったら休めばいい。頭では分かっている。
けれど次から次へと起こる問題は、処理しても解決しても雑草のように生えてきては自分を煩わせる。
ずっと立ちっぱなしだった足がジンジンと張っている。目の奥も岩のように重い。
だけど、思考は止まることなく次の手を求めてフル回転だ。
誰も自分を助けてくれない状況。助けられる人がいない。自分がやるしかない。
自分一人に課せられた八人の命運。
ここに無いのは頼れる人だけじゃない。ろくな道具も研究施設も材料もない。
思い出したくもない事件の結末に恨みつらみが沸いては、舌打ちとなって口から逃げる。
ああ、疲れた。
壁に凭れかかってそのままズルズルと冷たい床に座り込む。
今が何時なのか、いや昼なのか夜なのかすらわからない。寒いのか暑いのかも。
日の差し込まないこの部屋には時間の概念すらない。
生きている実感全て、といったほうが的確か?
あるのは同じく時を止めた同胞と生気のない灰色の壁、そして自分という塊だけ。
誰かいっそのこと、ボクも殺してくれればいいのに。
でもそれすらも叶わない。
生きていることを思い出すために、鉛の様に重い体を引き摺りながら、灰色の部屋を出た。
 
 
扉の外、狭く暗い階段を上ると外は白光煌く世界だった。
あまりの眩しさに数分の間、目が利かなくなる。
ようやく目が慣れてくると、平凡な民家の居間が見える。
何度もここで飯を食べているのに、まるで他人の家のようだ。
首を回(めぐ)らせてみるが、誰の気配もしない。
本当に、世界で最後の一人になったかのような孤独感を味わう。
自分は何のために、何をしているのだろう。
悲しいとは違う寂寥感。無力さと虚無感が鉛の体にさらに錘を乗せる。
「喜助?」
部屋の片隅から懐かしい声がした。大好きだった彼女の声。
「ようやく出てきおったな。ふふ、随分ひげも生えて小汚くなったの。儂の後湯で悪いが風呂に入ってくるが良い」
大好きな声だったはずなのに、無性に腹が立った。もちろん彼女にはなんの非もない。
一緒に居るとさらに怒りに火がつきそうで、無言で立ち去るとそのまま浴室へ向かった。
「何も知らないくせに」
口から滑り落ちた自らのその一言が呪文のように頭にこびりついて取れなかった。
逆恨みもいいとこだ。彼女が何も知らないのは当然なのに。けれど今はそれが無性に許せなかった。
 
 
風呂場の鏡に映った男は血色も悪くまばらに伸びたひげに、目だけがギョロっと動く生気のない顔をしていた。あまりに酷い顔に失笑する。
そのまま湯気で鏡が曇るのと同時に顔を逸らした。
浴槽に張った湯はきっと適温なのだろうがそれすらもを感じることも忘れて、ただぼうっと天井を見ていた。
揺れる湯気に、天井の木目が虚や仮面に見えて、そして平子達を連想する。今も地下室で時を止めている彼ら。それをいまだ救えない自分。
天井が降って来るような眩暈が起きて、うつむき瞳を閉じる。
どうすればいい?壊れそうだ。あぁ胸クソ悪い。
頭から足の先まで湯の中に沈んで、呼吸を止めた。
 
 
ダラダラ入っていた風呂からようやく上がってくると、彼女が顔を見せた。
「おお、上がったか。血色が良くなったのう。ああそうだ、テッサイが二・三日買出しに出かけるから留守にすると言っておったぞ」
テッサイの留守も大して気にならなかった。誰がいても誰が居なくても同じように感じた。
ヒトの温もりが欲しいくせに、それを拒否しているジレンマ。自分自身の感情が持て余る。
すっかり日の暮れた居間では燃える囲炉裏に鍋がコトコトと音を立てている。
「…何か食え、喜助。随分疲れているようだぞ…」
腕を引かれるまま居間に腰を据えるとテッサイが用意していったのだろう握り飯が出された。
豆腐と山菜の味噌汁。
「さぁ、食え」
目の前に出された質素な食事を口に運び、もそもそと機械的に咀嚼し飲み込む。
同じ動作を繰り返して、あらかた空になると、食事を取る様子をじっとみていた彼女が嬉しそうに微笑んだ。
その微笑に再び、云い得ぬ怒りが沸き上がる。
「食うたのなら、しばらく眠るが良い。今布団を敷いてやるからの」
何なんだ。さっきから指図ばかり。
どんどんイライラしてくる。何も知らないくせに、何のつもりだ。
「今夜は少し冷えるようじゃぞ。布団は二枚敷くと…」
布団を敷き終える前に、ついに声が出た。
「もういいっス!放って置いて下さい!」
静かな山里に響くような大きな声だった。
彼女も驚いたらしく、持っていた掛け布団を落とした。
彼女にこんな声を出したのは初めてだろう。
「…どうしたのじゃ、喜助…。何をそうイラついておる?言うてみぃ」
そろりと伺うように顔を覗き込み、頬を撫でるその手を弾いた。
彼女の表情が一気に悲愴さを増す。
「放っておけって言ってるんスよ」
金色の瞳が戸惑いを隠さず、動揺を知らせる。
「儂が、何か気に触ることを言うたか…?」
「違う」
「では、なぜ儂を邪険にするのじゃ。儂はおぬしの力に、助けになりたいのじゃ!」
「なってないじゃないスか。力にも助けにも!なれているとでも思っていたんスか?は、冗談じゃない。思い違いもいいところだ」
これはただの八つ当たりだ。彼女は何も悪くない。上手くいかない虚化の解除への焦りも、仕組まれた追放のやり場のない怒りも彼女のせいではない。疲れがそうさせてるだけだ。
だけど止まらない。傷つけたくてたまらない。もっと悲しませたい。
なぜ、ボクだけこんな目に合っている?
そう思うと悔しくてたまらない。
今にも零れそうなほど、金の瞳には涙が溜まっている。
ああ、いい気味だ。もうどうにでもなればいい。
「どうしたらいいのじゃ、おぬしの助けになるには儂はどうしたらいい?言ってみよ!」
「じゃあ帰ってください!もうボクの目の前に現れないで下さいよ。邪魔なんですよ、アナタ」
涙が一筋流れた。口をわななかせて、今にも漏れそうな嗚咽を必死にこらえてこちらを見ている。
「…なぜ…」
ズタズタにしたかった。自暴自棄になった心に唯一もたらさせる満足は、同じくらい傷ついた恋人を見ることだった。
布団の上に突き飛ばすと、あっけないほど力なく倒れた。
肩を小刻みに震わせ、涙を流す。その悲愴感とは真逆に、彼女の乱れた着物の袷から覗いた内腿はなめらかな皮膚に柔らかそうな弾力を魅せていた。
急速にこみ上げる欲求に嗜虐心が加わり、問答無用に襲いかかった。
彼女は驚いて抵抗した。布団の上を転げ、逃れようと這い蹲る。そのもがく足をひっ捕み、引き摺り戻す。
尋常じゃないボクの様子に、落ち着くように訴えかける彼女の声も全くの無意味だった。
着物の裾を左右に勢いよく開くと、前戯もなく快楽の園を目指して手が大腿を這った。
「喜助、何を…っ!」
閉じようとした褐色の両足を無理矢理開かせ、体を捻じ込ませる。荒い息もそのままで覆いかぶさると、彼女の首筋に吸い付いた。
彼女の体臭は甘く、脳髄を溶かして…そして壊れた自我を更にめちゃくちゃに乱していく。
「…っあ!」
着物の襟を大きく開くと、たまらず零れた乳房は熱く弾け、手の中で形を変える。
指先で寒気に尖った乳首を玩ぶ。
「いっ、嫌!」
たいした前戯もないまま、結合だけを求めて乾いた女陰に自身を宛がうと、彼女が暴れた。
「こんなの、あんまりではないか!おぬしは一体儂をどうしたいのじゃ?」
涙も乾かないまま、荒げる声は悲痛だった。
「ボクの助けになりたいンなら、黙ってやらせてよ」
暴れる腕を力ずくで抑えこむ。力で彼女はボクに勝てない。
「こんなことがおぬしの助けになるというのか?!」
「他に何もできないくせに。これが嫌ならボクを殴ってでも殺してでも逃げればいいんスよ!」
彼女にそれはできないと知っていながら残酷な二択を与えた。それに、考える余裕すら与えてやらない。
乾いた入り口に亀頭を含ませ、そのまま貫いた。
「いた…っ!」
濡れていない膣は自らを守るために、内壁を潤す。
犯している自覚はあった。こんな愛情の欠片もない抱き方。
嫌えばいい。恨めばいい。
その反面、縋る様に体を重ねて冷えた心に温もりを求めた。
彼女は殴りもせず、じっと堪え貫かれるままに受け入れた。
彼女の中は徐々にぬめりを帯び始めた。それは温かくて切なくて、気持ち良かった。
締め殺すかのように、全身で強く強く抱き締めた。
「夜一サン!夜一…サ、ン!」
何度も名を呼んだ。声も殺さず、感じるままに喘いだ。
自分本位の性交。彼女が気持ちいいかなど考えずに快楽をむさぼるためだけに腰を振った。
心の膿と白濁の精液を吐き出すと睡魔に襲われ、糸が切れたように眠りについた。
 
 
これだけ傷つけたのだ。次に目を開けた時、きっと彼女はいない。
 
 
 
 
 
 
次に目が醒めた時、ボクは彼女の腕の中、柔らかい胸に抱かれていた。
後頭部を何度も往復する優しい手の動き。
どうして?あれだけ傷つけたのに。
「…起きたか、喜助…」
手が止まって、彼女の声が静かな夜に囁く。ボクには理解できなかった。あんなひどい真似をしたのに、まだ居るなんて。
「何で…?」
「儂の体が必要なら、いくらでも抱くが良い。それがおぬしの助けになるなら、儂は喜んで差し出すぞ」
「あてつけで言ったんですよ?!あれはただの八つ当たりで、アナタには何の非もない!アナタを強姦したボクなんかに、どうしてそこまでするんスか!」
彼女は見たこともないような穏やかな微笑みを見せた。花に滴る雫のような美しさに一瞬我を忘れた。
「そんなの、おぬしを好いておるからじゃ」
真っ直ぐな言葉。
「好いた男の心の闇だって一緒に背負いたい。確かに今儂にできることは数少ない。でも、おぬしが儂を望んでくれているなら、応えたい」
「だって…こんな酷い交接…」
「おぬしに抱かれてそれを強姦だと思ったことなどないぞ。これも一つの想いの形であろう」
まぁ、多少は痛むがな。とからりと笑った。
急激にこみ上げてくる涙。嗚咽をこらえるように口を押さえる。
あぁ、ボクは愛する人にこんなにも愛されている。それなのに自分勝手に傷つけて、…一人で戦っているつもりで。
彼女を閉め出していたのはボクの方だ。
「…ごめんなさい…、夜一サン。…ごめんなさい……」
目頭があつく熱を持ち、消え入りそうな声が口をついた。
「よい。おぬしが儂を望んでくれるなら、それでいい」
彼女はそっとボクを抱き締めた。ボクは彼女の首筋に顔を埋めて、声を殺して泣いた。
背中を撫でる手の動きは優しく、虚無感に支配されたボクを受け入れてくれた。
ヒトならざるモノに堕ちそうになっても、彼女が居れば、ボクはまたここに戻ってこられる。
彼女の皮膚の熱さで。彼女の甘い匂いで。彼女の涙の味で。
「喜助」
優しく鼓膜に響く、その声で。
                                   <終>