シャボンの夢 お試し用

 

急激に浮上する様な息苦しさから、ハタと目が覚めた。
「は…、あ……夢…」
目覚めて首を巡らす自室は、其処彼処に散乱した紙と筆。見慣れたものに囲まれた部屋はまだ夜は明けてないようで、世界は濃い群青色のままだ。
喜助は大きな溜息と共に気だるい身体を起こすと、近くに置いてある水差しからぬるくなった水を注いだ。
現世に来てからというもの、この夢を見る回数は増えた。
何度も見たことがある先の夢は、いつも同じ展開だった。
自身の一人称がボクの時代から見てきた夢。それがアタシと言い換えても見続けるそれ。
今まで別段気にもしなかったし、しばらくするといつも忘れてしまう。
こうやって起きた直後に、不可思議に思うだけなのだ。その夢には恐怖も喜びも何もない。ただ波のように揺れるだけなのだ。
だが今日は、頬を撫でられた感触だけがリアルに残った。それを掴もうと手を伸ばすと、シャボンも世界も全て消えた。
(はは…、欲しいモノは手に入らないって暗示っスかね。だとしたら酷い悪夢だ)
感触が残る頬を擦って自虐的な思考に苦笑すると、無精髭を撫でた。
 
次に目が覚めた時、丁度彼女が起こしに来た。
「…ねぇ、夜一サン。わざわざアナタが起こしに来てくれたって事は、いよいよアタシの(モノ)になってもイイってことっスか?」
喜助は布団をめくって、彼女にここに来いとばかりに自分の横をポンと叩いた。それを見た彼女の瞳は眇められ、遂には呆れ声に変わった。
「はー…、おぬしもいい加減に戯言をほざくのは止めたらどうじゃ?」
「戯言だなんてヒドイっ!いつでもアタシは本気っスよ!アナタが本気にしないだけでしょー」
枕を噛まんばかりに切なげに訴えて見せるが、夜一は相手にしなかった。
「呆れてモノも言えぬわ。まぁ何でも良いから、早う起きよ」
言い捨てる様に告げくるりと背を向けると、急に腕を引かれた。
「?!」
思いの他強い力だったから、夜一は怪訝な顔で振り返った。瞬間、喜助が彼女を強引に抱き寄せた。腕の檻に閉じ込めるよう、きつく。
文句を言おうとして開きかけたその口を喜助の影が覆うと、まるで果実のようなその唇に間髪入れずに吸い付いてきた。
「ん…!」
突発的な彼の行為に夜一はジタバタと抗うが、ひょろりと伸びた細い体躯からは想像できない力で動きを封じられ、細い指先が彼の作務衣をぐっと握るに留まった。
真っ直ぐな口接は一切の御託がない分、鋭い矢のように感情を刺激して、腹の奥に眠る熱を焚きつける。
重ねただけでは満足できないとばかりに、口唇を割るように喜助の舌が蠢いた途端――。
ダン!
強く足の甲を踏みつけられた。
「~~~~!!」
痛みに蹲る喜助に、解放された夜一は彼を怒りの形相で見降ろし唇を拭うと大莫迦者!と一喝し、どすどすと音を立てながら居間へと戻って行った。
残された喜助は、ようやく痛みが通り過ぎた足を擦りながら人知れず溜息をついた。
「照れ隠しに、踵で踏みつけるなんて本当に酷いヒトだなぁ…」
想いを認めてもらえない。認めようともしない。
ずっと昔から。今でさえ。
「酷い…(ヒト)…」
嘆きのように零れた言葉は、先の夢で見たシャボンのように弾けて消えた。どうせなら、膨れてすぎて最早抱えきれない想いも共に弾けて消えればいいのに、と思って苦笑した。自分がそれを出来ないことはよく分かっている。
できるならもうとっくにして来た筈だったし、それをしないのは微かな希望に縋りついてきた証拠なのだ。
しかし、叶わない想いを抱き続ける事にも、既に疲れていた。
(潮時なのかも知れない)
「凪ぎの時間は終わり…っスか」
喜助の瞳にそっと影が落ちた。
 

 

 

※鰤オンリー発行予定の喜夜長編の一部抜粋です。本作品は性表現・血等の暴力表現がありますので、18歳未満の方のご購入・閲覧はご遠慮ください。(このページは大丈夫ですよ~)