桜会
「儚きは 時雨に散るも 美しきかな」
「…下手くそ」
さわさわと柔らかな春風に枝をしならせ、男女一組夜桜見物。
平日の夜、七分咲きの桜を愛でつつ熱燗で一杯煽ると、嘆息混じりに喜助の口から拝句もどきが零れ落ちる。
「もうちょっとマシな句は読めんのか?」
誰にも邪魔されたくなくて、ちょっと奥まった場所で弁当を広げ、薄桃の花弁に彩られた半月を見る。
うっすら酒精に染まった頬に困ったような笑顔を乗せ、彼女の肩を抱いた。
「もー、そんな意地悪言わないで下さいよー。アタシが昔っからこういうの下手な事知ってるくせに」
口唇を近付けて、猫に頬擦りするように抱き寄せると、力いっぱい突っ撥ねられた。
「寄るな!酒臭い!」
「いーじゃないっスかぁ、こんな綺麗な桜を当てに呑まないで、何を当てにするって言うんです?呑まない夜一サンの方が桜に失礼っスよー。ほらほら」
杯を持って夜一の口元へ強引に酒を飲ませようとする喜助に、夜一は一撃を見舞った。
腹部を抑えながら倒れる相方に、水一滴すらの憐れみも感じない。
「大莫迦者が。儂は下戸だというのに、知って居ながら勧めおって」
ふん、と夜一がそっぽを向くと、喜助が胡坐をかいた膝に頬杖をついて大きく嘆息した。下から覗きこむように、桜にも負けない美貌を見る。
「…呑めばいいじゃないスか。下戸でも何でも、アタシがいるんだし。酔った夜一サン、可愛いしアタシは好きっスよ」
「まるで普段は可愛くないと言っておるようじゃのぅ…?」
満月の様な瞳が、今宵の月の様に半眼になる。
「どうしてそう上げ足取るんスか。言葉のまんまっスよ。あ、もっと好きって言ってってことだったりして?」
夜一の瞳にふつりと怒りが沸く。
どうして、こんな男と共にいるのか分からなくなる瞬間だ。
拳に力を込めると、一陣の風が桜の木々を駆け抜けていった。
強い風に細めた瞳をゆっくり開くと、そこには桃色のシャワー。
微かに鼻孔をくすぐる淡い香りが、気持ちを沸き上がらせる。
「綺麗…スね…」
先に喜助が呟いた。
「ああ…」
夜一はただ一度、頷いた。
その唇には、微笑みも乗せて。
喜助がゆっくりと猫背の体を横に倒して、夜一の大腿にそっと頭を乗せた。
調子に乗るな!といつもなら怒声が響くが、ここは桜会。
野暮な事は言いっこなし。
その証拠に、喜助のくすんだ金色の髪を褐色の手が撫で梳いた。
その前後左右で淡色の花弁が、ひらりひらりと、舞い続けた。
夜の静寂に温もり分けて、見上げる世界はこの世の春。
<終>