九月。
季節はゆるやかに夏から秋へ廻ろうとしていた。
しかし、今夜はやけに夏の名残が強い夜だった。
半円形の月光が妙に明るい、風の凪いだ夜はやけに蒸し暑い。
そんなことも構わず、森のように木々が生い茂る広大な庭の静寂で鈴虫がそこ、ここと羽を鳴らす。
歴史を感じさせるような大きな日本家屋の屋敷は既に消灯して数時間か過ぎ、人の動く気配はない。
そこに静の中で一点の動。
離れの蔵が立ち並ぶ中で、一人の女がこっそりと辺りを伺いながら、流れる雲影に隠れるようにささっと猫のような足取りで歩く。
その中の一つの蔵にたどり着くと、さっと蔵の中に身を隠す。
蔵の中には灯りなど皆無だが、天井近くに開いた空気口のような高窓からのぞく月光だけが、その青白い光をもって中の様子を映し出す。
無機質な古びた物の置かれた蔵で、唯一動くものを探す。
何度も通っている蔵なのに、扉を閉ざしたこの一瞬だけは不気味な暗闇に緊張する。それを振り払うかのように、女はそっと待ち人の名を呼ぶのだ。
「・・・喜助、おるか?」
すぐそばの暗がりから、長身の男が女を怖がらせないように声をかけた。
「待ってましたよ、夜一サン。ここに来るまで誰にも見つからなかったですか?」
男の声にほっと胸を撫で下ろすと、寄り添うようにその傍らに近付いた。
「うむ、儂がそんなヘマをするはずなかろう?」
女でありながら尊大な口を利くのはこの女が家の当主であるからで、それより身分の低い男が必然的に敬語となる。女の口調は雄雄しくも、青白い月光を反射したその姿は夢幻のように美しかった。
「特に砕蜂に勘付かれると厄介だからの。以前にも寸止めを余儀なくされたせいで儂もいつもより注意を払ったわ」
「ああ、彼女はボクを嫌ってますからねぇ」
「まぁ、あれは儂に心酔しておるからの」
こちらを見上げて微笑んだ。
キラキラと輝く大きな瞳が印象的な小顔のなかに、口角の上がったぷっくりとした愛らしい唇。上質の絹のような肌はほんのり温かい。長い髪を軽く結わえて晒されたうなじに濃厚な色気が薫り立つ。薄布の浴衣の下に隠された豊満な胸は腰の細さを更に助長し、すらりと伸びた足は何の迷いもなく、男に近付く。
うっとりとその美しさを堪能して、男は淡く微笑んでいた。
女は男を月光の下へと誘うと、いつもの長椅子に腰かけた。
「さぁ、今宵はどんな面白い話を聞かせてくれるのじゃ?」
しなを作っておきながら、さも素知らぬ顔で夜伽話をねだるような口調。
彼女にとってこの地域以外の情報はこの上ない娯楽なのだ。
閉鎖的な町の閉鎖的な家に生まれ、その家長なのだから。
喜助もそれが痛いほど分かっていたから、他愛無い話でもなにか土産として持ってくるよう心がけていた。実際、喜助はほぼ大学の研究所に詰めており、世間の情報は意識的に取り入れないと、あっと言う間に手から零れていくのだが。
記憶を手繰り寄せるように、世間の流行り物や話題の事柄について話し始めるのだった。
夜一も目を輝かせて話に聞き入る。
「それで?それでどうしたのじゃ?」
続きを急かしては夢中になって喜助の語りを喜んだ。
粗方話し終えた後も彼女の瞳は期待に輝く。
「すいません。もうネタ切れっス…」
「なんでも良いのじゃぞ?ほれ、この前言うておったな、美味しい定食屋があるとかなんとか…」
「うん、でもちょっと話疲れちゃって、喉カラカラ」
喉が渇いた理由はそれだけではない。
にじり寄る夜一の媚態に目のやり場に困惑しつつも、何度も見てしまっている。その隠しきれない豊満な乳房の谷間や、なだらかな曲線を描いたまるみを帯びた尻。
ちらちら、と。今も。
夜一はそれを知っていて、からかうように口角を上げた。
向かい合ったまま更に距離を詰めると、今にも胸が喜助の腕に触れそうなほどだ。
紙一重の距離感に彼の喉が、ゴクリと、鳴る。
真夜中の二人きりの蔵の中。
間違いが起きてもおかしくないほどの二人の距離。
それでも喜助は少し黴臭い蔵の空気を軽く吸いこみ溜息を落とした。
落ち着こうとする彼の仕草に金色に光る瞳は目聡く気付く。落ち着かせるわけにはいかない。
「どうした喜助?眠くなったかの?」
見当外れの問いかけに、自分の感情を持て余した喜助は少し面倒くさそうに答えた。
「そっスね。けっこういい時間ですもんね。戻りましょっか」
(何じゃその投げやりな言い方は…)
夜一が些かむっとするが、月光を映す瞳がくるんと動いた途端、その愛らしい唇には笑みが乗っている。
彼を寝かせてたまるものか。
何か思いついた顔だ。いたずらでは済まない妖艶な笑みに喜助は動悸が跳ねた。
「…っ、あ!喜助!胸の処に虫が入ってしもうた。取ってくれ!ホレ、早う!」
夜一は喜助の骨ばった大きな手をさっと握ると、躊躇いもなく
自分の浴衣の袂へと導いた。それに驚いたのは勿論喜助の方で、反論する間もなくその手は先から覗き見していた乳房に触れていた。
<続きは是非是非本で!>
10/23 COMIC CITY SPARK6発行予定。 委託先オレンジショートケーキ様 東4ホール し3b
Bar-kuroneko 新刊「Temptation」 R-18 B5サイズ P40 ¥500円
*新刊のお試しです。夜一さんが喜助を誘惑する現代パラレルなお話です。
あらすじ→地方の良家の若き当主夜一は閉鎖的なこの地方と家のしきたりに辟易していた。幼馴染の喜助が研究者として頭角を現すのに目を付け、自身もこの家からの自由を望む。そこにはある思いが存在しており、彼女が一途に望むものだった。自由のためには喜助の力が必要で、自分に思いを寄せる喜助を利用し、誘惑し、望みを叶えようと画策する(って書けばちょっとかっこよく思えますけど、ただの誘い受けです)。
喜助視点です。まー、夜一サン腹黒く計画練ってた割には彼女が望む物って、けっこう単純なものになってしまったという力不足。喜助がぐじぐじしてます。でもやるこたやってます。かっこいい喜助を書いてやりたいのにかけない。私の中って喜助と夜一さんどうなってんの?
かっこよさが微塵もない(>0<)っつ