・月蝕・

 

ボクらが、ヒトとして理性を保つために、それは必要だったんだ。
 
彼女が隠密機動の長として就任してから何度目かの季節が巡った。
護廷の中での立ち位置は死神でも、その実離反者や反駁者を始末する血生臭い暗躍部隊。白眼視されることも、畏怖の対象にされることにも、最早反論する気にもなれない。
そんなどす黒い環境にありながら彼女はヒトとしての優しさや、当り前の喜怒哀楽を失わなかった。
それが隊士達にどれだけ心強かったか知れない。
当時、彼女の部下として席を置いていたボクも、彼女という光に照らされていた。
瞬神として、大貴族の当主として、絶大な力を持っていた。
でもそれらが、彼女もヒトだということを失念させていたのだ。
 
 
ある月の無い夜だった。彼女とその主たる部隊が、反逆者の始末に身を躍らせた。
首謀者は彼女の手を焼かせること無く、地に落ちたが、帰還した彼女の目は虚ろだった。
「・・・おかえりなさい、隊長」
「・・・ああ」
彼女はそれだけ答えると、さも今気付いたかのように血塗られた右手を見た。
それでも、その氷のように固まったままの表情は動くことはなかった。
きっと声をかけたのが、ボクだということも分かっていないのだろう。彼女はボクに“隊長”と呼ばれることを嫌うから。
「・・・湯浴みじゃ・・・」
そう命じた唇がそれ以上誰にも、何も言わなかった。
 
数日後、彼女へ報告のため、まみえる機会があった。彼女は元のようにキラキラ明るく笑っていた。あの時は疲れていたのだ、とそう安堵させる朗らかさ。
でもボクの目には、その虚ろさはもっと巨大になって見えた。
「疲れているようですね、夜一サン」
「いや、疲れてなどおらぬ。出し抜けに何を言うかと思えば・・・」
彼女は自分自身ですら飲み込まれる闇に気付いていない。
「・・・そう・・・それなら、いいんスけど。ボクにも言えないようじゃ、重症ですよ」
「だから、疲れてなどおらぬ、と言うておろうが。おぬしの勘繰りすぎじゃ」
笑ってみせたつもりなのだろうけど、その目は笑っていなかった。ぽっかり空いた穴のような瞳だった。
その夜、再び彼女は戦場へと向かった。今回もまた、相手は離反した死神だった。
 
ボクは、帰りを待つことしか出来ない。
彼女は隊長が抜けた時の役割を、副官の他に三席であるボクにも託している。だから三席に就任してから、彼女と同じ戦場で闘う機会はほとんど無い。違う戦場で待つか、隊舎で待つかの差でしかない。
彼女の強さを信じているが、待つのは嫌いだった。嫌なことばかり頭を過ぎるから。
夜も更けた頃、彼女は戻ってきた。
相変わらずの血の匂い。そして、瞳を虚ろにした彼女。周囲の部下は気付かない小さな違和感。
長い時を分けたボクには分かってしまうそれは、ボクらが表裏一体だからだろう。
彼女が光ならボクは闇。彼女が闇ならボクは彼女の光に・・・。

 

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